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海外のベストレビューを翻訳する -『Re:ゼロから始める異世界生活』(批判多め注意)

更新再開します。
読みやすさを優先するためにレビューの構成を少し変えています。

各アニメの海外で最も支持されているレビューを翻訳する。

原文はコチラ。(MyAnimeListより)


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Sep 19, 2016
25 of 25 episodes seen
Overall Rating: 5
1614 people found this review helpful

これは"レビュー"であり"ファンレター"ではない。

『Re:Zero』は傑作に成りうると期待された。地獄のようなファンタジーの世界に投じられたキャラクター達は、星に手を伸ばすかのようにトライ&エラーを繰り返す。掴んだ幸せは瞬く間に消えていき、彼らは怒りに湧きたち、後悔に震える。

しかし『Re:Zero』はその域に達しなかった。この前に進むためにがむしゃらにもがきつづける物語は、グロ表現やここぞの演出は絶賛モノであったが、肝心のストーリーは幾つかの欠点があった。王道から離れたストーリー展開がこの作品の魅力であることは確かであり、実際にも悪いストーリーでは無かったのだが、しかしそれには足りないものが多すぎた。Subaru の悲劇的な闘争の果てに、私達が得たものは一体何だったか。この作品は一体、何を伝えたかったのか。


(以下、細かいネタバレを含む)

この作品の放送期間中、私は『Re:Zero』を『Steins;gate』と同じくくりにして討論している人たちを良く見た。しかしそれは全くの的外れであると言わざるを得ない。『Steins;Gate』はタイムリープをするまでの舞台状況や伏線を作るためにストーリーの約半分を費やしたからこそ、時間遡行が重大なものになった。しかし『Re:zero』のそれは些か突然であり、何度も何度も繰り返すことで安っぽくなってしまうのは自明なことであった。

またこの作品では序盤に主人公の死亡シーンが流れる。しかしなんだかよく分かっていない主人公が死んだところで、真剣に悲しむ人は殆どいないだろう。確かに序盤でメインキャラクターが死亡するというのはかなり驚いたが、2度目以降の死亡ではそんな感情は殆ど無かった。3度目も、4度目も、同様である。

この主人公は如何なる出来事が起こったとしても、『死に戻り』という能力によってすぐさまそれを無に帰することが出来る。メインキャラクターが死亡したとしても、特に問題は無い。主人公 Subaru は能力によって過去に戻り、未来を捻じ曲げることができるのだ。その能力にコストはないので、たとえどんなことが起こったとしても全く意味は無い。Subaru の失敗は転生時に全て無かったことになり、彼は罪悪感を抱くことだけでそんな生活を続けることができる。Subaru はこの物語において神に等しく、世界は彼の遊び場であるといってよい。

これらのことを誤魔化すために、ますます残酷な方法でキャラクターは殺されていく。手足をもがれ、鎖に縛られ拷問を受け、人間としての尊厳も全て奪われる。その暴力に意味は無く、しかし人為的この上ない。

それらが最も顕著に描かれたのが第15話だ。その殺害方法はこれ以上ないほどに残酷であり、Subaru は血をどくどくと流し、怒り狂うように叫び声をあげる。その様はまるで残虐ポルノである。このようなフィクション作品において、死やグロ表現などの要素をストーリーに悪影響を及すことなく描くことは可能である。例えば戦争などの問題に焦点を当てたストーリーの場合はそれらの表現は必要になる。死とは全く自然な現象であり、人は自ら殺人を犯すものではない。

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Re:Zero に内在する問題は、死とグロ表現がそれらを描くためだけに存在していることである。作品の体裁を保つためでも、重要なテーマを描くために必要なものでもなく、ただただ視聴者にショックを与えて興奮させるためだけに存在している。しかしこれらの手酷い仕打ちを受ける登場人物たちに同情して、多くの視聴者が彼らに感情移入していくことも事実であり、それ自体は良いことである。

実際に私をモヤモヤとさせるのは、その中身がいかに簡素であるかということだ。Re:Zero はその過剰な演出で重大なストーリーを抱えているように見せかけるが、それはただ奇抜で目立つだけであり、その中身は未だ空っぽなのである。


この”空っぽ”という表現は登場人物についてもまた同様に当てはまる。Emilia を例に挙げる。彼女はただアニメファンの理想の女性像の集合体を現したかのような芯が通っていないキャラクターであり、この作品における彼女の役割はSubaru の悲劇をより凄惨なものにすることだけである。彼女はこの作品に必要だったのであろうか。

その点 Rem と Ram はより優れたキャラクターであった。しっかりとしたキャラ付けが為され、ストーリーの過程で成長していく姿も見られた。彼女らの、特に Rem についての問題点は、その変化が些か突然だったことである。その突然さのせいで、成長したというより、別人に成り替わったように感じたのだ。特に前半エピソードの Subaru に対しての態度の変化などに顕著である。死ぬほど憎んでいた相手を、とある出来事を経ただけで、自らの全てを捧げるほどに愛しているのである。

公平を期すために述べておくと、その急激な変化に対する理由は存在する。Subaru はRem にとって無私の優しさを与えてくれたただ一人の人物であった。自らの身を投げ打ってでも自分を救おうとしてくれるヒーローであったのだ。Subaru は Rem の信頼と尊敬を得るために多大な努力をした。

しかし数話前までその名前さえも憎んでいたことを考えると、彼女の Subaru に対する愛情の度合いの変化はやはり極端すぎるし不自然に感じる。段々と好きになっていく過程を描かずに最初から愛情度MAXに描いたのは、おそらくotaku視聴者の理想のガールフレンド像を考慮してしまった結果なのではないかと思う。私のように、彼女の現実味の無い急激な態度の変化についていけなかった人は一定数いるのではなかろうか。


Betelguese という卑劣を体現したかのようなキャラクターで、この作品で最も不快に感じる存在がいる。彼は不気味に身体を折り曲げ、怒りに任せて指を噛みちぎり、奇妙な眼球から血涙を流す。彼は恐らく"ホラー"を作り出すために存在している。しかし実際には彼の言うことは支離滅裂で馬鹿げていて、それが彼に対する恐怖を壊している。

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真に恐ろしいのは明らかに狂った人物ではなく、巧妙に一般人のフリをした化け物である。Hannibal Lecter *1は恐ろしいが、Betelguese は恐ろしくない。本当に視聴者に恐怖を与えたいのならば、もっと現実に寄せるべきであるのだ。

サブキャラクターの殆どは、Beatrice や Roswaal のように単一の特質やキャッチフレーズによって定義されていて、基本的に一次元で深みが無い。ただ一つの例外が Wilhelm という男だ。彼のバックストーリーとその行動原理は非常に正当で感動できるものであり、有意義なものであった。惜しむらくは彼のストーリーが終わりに近づくやいなやベンチに投げ込まれてしまい、その後はただ剣に熟練した老人になってしまったことであろうか。


さあ残るは我らが Subaru についてだ。例外無く、彼こそが Re:Zero の面白さを決める要素だと私は考えている。彼の完膚なきまでの愚かさに耐えることが出来たなら、彼が経験するトラウマや、彼の壊れていく精神に共感することが可能になる。一方あなたが彼の存在に強いストレスを感じてそのイライラが一定値に達してしまったら、彼の行動を受け入れることは不可能になる。私は定期的にその症状に陥った。Subaru は Re:Zeroのファンかアンチかによって評価が一変するキャラクターである。

多くの点において、彼は典型的な少年漫画の主人公と一致する。頭に血が上りやすく、空気の読めないジョークを飛ばし、論理的なプロセスで物事を考えることが出来ず、勝てない戦いにも勇んで飛び込む。彼は自らを世界で最もクールな男と思っており、自分の力で誰をも救えると信じているが、自分よりも熟練した人がいるだけで不安な気持ちになってしまう。

そして自らの間違いによって浮き彫りになった自尊心とエゴに疑問を呈されただけで、無実の人々に怒鳴り散らす。Subaru はただの怒りっぽい子供であり、私は彼より怒っているキャラクターを見たことが無い。彼の性格のせいで何度視聴を止めようと思ったか分からない。彼の精神性にも何度も困惑させられた。第15話で心が完全に壊れたにも関わらず、次の話では正常な状態に戻ってしまっていた。たとえそれが復讐のためであったとしても、どうしても違和感は拭えなかった。


ここまで散々に批評してきたが、Re:Zero『第18話』に関しては長い間見てきた全てのアニメ作品の中でも最高峰のエピソードであったことを、私は告白せねばなるまい。

1-17話のグロ表現に溢れ中身に欠けたストーリーと、Subaru の愚かで空っぽな性格は、全てこの『第18話』を描くために存在していたと言っても過言ではない。このエピソードは間違いなく、Subaru というキャラクターを成立させるためのものである。その内容は Subaru が自らの間違いを認識し、今までの行動について懺悔するというただの会話劇である。彼は自分が欠陥を抱えた人物であることを、自分だけの力では実際に誰かを助けることなど出来ないことを深く理解する。

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このエピソードで初めて彼は自分自身が"普通の人間"であることを示した。我々はここで初めて Subaru というキャラクターを知ることが出来る。あなたは彼の懺悔を聞いてどう思うことだろうか。私は結果として彼を憎むことを止めた。たとえ以前の彼の行動を許容できなかったとしてもだ。

私はこれらのシーンに大いに敬意を払っている。30分全てを会話に専念させたのも見事であった。Re:Zero はキャラクターに共感させるために死やグロ表現を使う必要は無かった。ただ Subaru に話す舞台を与えるだけでそれは達成された。そしてこのことは一つの疑問を生み出す。なぜRe:Zero はこれを最初からやらなかったのだろうか?

この作品は明らかに傑作に成りうるポテンシャルを秘めていた。アニメ制作陣が素晴らしい能力を持っていたということは実証されている。特に音楽は本当に素晴らしく、悲劇的なメロディーは絶賛モノである。また映像も豊富な戦闘シーンに関わらず、綺麗な品質を維持していた。キャラクターの表情も、時には過度な場合もあったが、彼らの痛みや苦悩を表現するために明らかに効果的であった。Re:Zero は非常に良く出来ている作品であり、White Fox が本当に特別な作品を作ろうとしていたことがひしひしと伝わってくる。

最後まで見た感想として、物語の大半は気分を煩わせながら見ていたが、Re:Zero が駄作であるとは思わない。またこの作品が傑作だとも言えないが、『第18話』の完成度はそれまでに感じた全ての不快感を帳消しにするほどのものであったことは事実である。しかしたった1話の素晴らしいエピソードが25話全ての評価を覆すことは無い。これが私がこの作品のレーティングを5にした理由である。

Re:Zero についての評価が傑作と駄作に完全に二分されているこの状況を見るに、私の中立的な評価は少数派であると感じる。『感情に満ち溢れた人生を変える冒険』という意見があれば、『最小公約数*2のゴミの積み重ね』という意見もある。この作品の評価を1にしている人が、全てのエピソードをちゃんと見ていたのかは疑わしいが。

おそらくあなたは私より遥かにRe:Zeroを楽しめることだろうと思う。多くのアニメファンはエンターテイメントの中に深い内容を求めている訳ではない。私はそれを愚かなことだとは思わない。ただエンタメを求めるためにアニメを見ることは当たり前のことである。

しかしこれは"レビュー"であり"ファンレター"ではないのだ。私は批判的ではあるが公正な目を持ってアニメを批評するために、ここに意見を共有している。Re:Zero はたくさんの問題を抱えてはいるが、そのどれもが作品を壊すほどの重大なものではない。視聴者の感情を揺さぶるエンターテイメントの点に長けていて、1つの素晴らしいエピソードがあったものの、しかしこの作品は決して成功してはいないと私は思う。

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*1:羊たちの沈黙』等、作家トマス・ハリスの複数の作品に登場する架空の人物。著名な精神科医であり猟奇殺人犯。殺害した人間の臓器を食べる異常な行為から「人食いハンニバル」と呼ばれる。

*2:最小公約数は1に決まっていて、すなわち最小公約数という言葉に使う値打ちが無い。